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お稽古する居合のルーツ
当稽古会では神刀流撃剣剣武術の
日比野雷風の内弟子だった
柳澤義正師が明治37年〜41年頃に大江氏から伝授された土佐居合、大森流を含む長谷川英信流
計73本をお稽古しています。廃藩以前は門外不出であった
土佐の居合が、西南戦争後に
大江正路によって大阪を経て東へと民間にも普及し始めました。当時は、剣道が撃剣のお稽古といわれていたのに対し、居合は抜刀のお稽古といわれていたそうです。また、西南戦争のころから土佐の居合は人口に膾炙するようになり、土佐英信流とか長谷川流と言われていたようですが、その初伝には小笠流の礼法をとりいれた格調の高い大森流の正座居合が含まれていました。
まず座敷、道場での立ち居振る舞い、御刀の取り扱い作法を学び、抜き差しの法を学んだということです。所作は静寂のうちになされ、抜刀の技自体は今日見られる大森流居合よりも早い、動的なものだったようです。
大森流正座11本、英信流立膝10本、奥立膝居合10本、奥立居合、以上31本は柳澤師が大江氏より正しく伝授を受けたもので、神武会では英信流居合として初伝、中伝の目録で伝授されます。さらに英信流奥立居合11本があり、柳澤師自ら工夫考案した同業の立ち居合31本を含め,大正10年には神刀流15本とあわせて神刀英信流居合としました。さらに、大正13年には秘伝10本を創作し、合わせて98本となりました。
この他、英信流立膝の部の早抜き、神刀燕返しから始まる立ち技の速刀、太刀打ちの位を伝承しています。