■日比野雷風
               元治元年〜大正15年
 明治中期から大正末期にいたる詩吟剣舞界をリードした、剣舞(ケンブ)中興の祖として知られ、剣舞の一大
流派神刀流を興した。最盛期には門弟一万人を要したと言われるが、開祖一代で築いた大所帯は雷風没後分裂し、多くの流派を排出して今日に至る。
 雷風は幼名を庄吉といい、 元治元年犬山藩成瀬家お抱えの刀鍛冶だった日比野源道義の長男に生まれた。明治になって、父と上京し上州冑山の豪農根岸友山の世話になる。邸内の振武所で北辰一刀流剣術を学び、青年期に江戸へ出て、武者修行。明治23年、湯島天神下に撃剣指南所の看板を掲げ、神刀館の前身である日比野道場を設立する。この頃、榊原健吉の知遇を得、撃剣興業に剣舞、居合抜などを取り入れ地方巡業を初め、日本神刀流撃剣剣舞術を旗揚げした。
 明治30年代には道場経営にも力を入れ、全国に多くの門弟を擁すに到った。名称も日本神刀流から神刀流へ、撃剣剣舞術は剣武術に、更に大正の晩年には剣武術を剣武道とした

                                  著書は以下の通り

                                   1)撃剣教育論
                                   2)剣舞図解教範
                                   3)剣舞術教範
                                   4)天下無敵剣武術
                                   5)剣武の道




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